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【書評】批評とは「思考を深めること」――『批評王 終わりなき思考のレッスン』

 大胆不敵なタイトルである。「批評」の「王」。自らの著書に「王」という言葉を冠するなんて、並大抵の度胸ではできない。もちろん、著者は文筆家・批評家として十分すぎるほどの実績を誇っているわけで、このタイトルもうべなるかなと思う。

 そう思って「前書き」に目を移してみると、そこには次の文章が書かれてあった。

〈本書の題名「書評王」は一種のアイロニカルなジョークとして受け取っていただきたい。私は自分のことを「王」だなどとはもちろん思っていないし、(略)誰かにそう思われているのでもないことは重々承知している。〉

 ……すべては冗談だったのである。

 ただ、内容は批評本の「王」にふさわしく、著者のテリトリーである音楽から文芸、アート、映画、演劇、思想、漫画、ライトノベルまで、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)から涼宮ハルヒまで、ありとあらゆる芸術作品を縦横無尽に語りつくしている。全525ページ。厚さ3.5センチ。なんとボリューミーなことだろう。多彩な作品の見所や勘所を饒舌に語りまくるさまは、淀川長治宇多丸(RHYMESTER)の映画評や佐久間宣行のオールナイトニッポン0を彷彿とさせる。

 見知った作品は新たな着眼点を、初めて触れる作品は概略や魅力を、ロジックとレトリックとボキャブラリーを駆使して論じてみせる。ジャンルレスに繰り広げられる批評の営みは、斯界のトップでなければできない為業だ。

  「批評王」の看板に偽りはないので、そこはご安心いただきたい。

批評=思考のプロセス+思考した結果

 もう一つ、批評の効能を挙げるとすれば、それは「思考を深めること」にある。

 そもそも批評とは何か。著者の言葉を敷衍するなら、それは「思考のプロセスと、その結果の集合体」である。つまるところ、批評対象について思考した軌跡を文章などで展開することと言えよう。

 ここには相対的な価値判断はなく、「ここにこれがある」という発見と、「それは何をしている」というメカニズムの解明の二つを目的に駆動している。「おもしろい」や「素晴らしい」といった価値判断はただの感想でしかない。批評の本質は判断ではなく発見にあり、発見を促すには思考を巡らせるほかないのだ。そういう意味では、本書の副題にある「思考のレッスン」は言いえて妙である。

 批評という営みを通じて鍛えた思考力は、ありとあらゆるスキルを育むことだろう。それは情報の真贋を見極める目利き力かもしれないし、組織の課題を明らかにする課題発見力かもしれないし、はたまた別のスキルかもしれない。

 いずれにしても、批評は何も批評家だけに求められるものではなく、あまねく人々の人生に効く営みなのである。