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【ナナシス】それでもAsterlineは「誰かの背中を押す」――『EPISODE2053 SEASON2』

 とある映画の撮影で訪れた孤島での夜。満天の星空の下で、奈々星アイは「Asterline」らしさについて模索していることを支配人に告げる。アイドルでいるために無理をするのは違う。自然と誰かの背中を押せる、そういうのが私たちらしいのではないか――と。

 これは『EPISODE.2053 SEASON2-003「バックステージ」』第4話での一幕だ。ある「若手映画監督」から映画出演のオファーを受けたアイは、一ノ瀬マイと朝凪シオネ、支配人とともに孤島へと向かう。島では多くのトラブルに見舞われ、思うように撮影が進まない。冒頭のやりとりは、そんな状況の中でこれまでの活動を顧みたアイと支配人によって交わされたものである。

 その後、紆余曲折があったものの、撮影隊の「背中を押して」撮影は無事終了する。島での活動に手ごたえを感じたAsterlineは、この後も「誰かの背中を押す」を軸に据え、アイドルして奮闘していくのだった。

Asterlineが存在意義を見出すまで

 このように、『EPISODE.2053 SEASON2』では、Asterlineが自らの存在意義を見出すまでのプロセスが描かれている。彼女らの存在意義、それが「誰かの背中を押すこと」であることは言うまでもないだろう。

 「Tokyo-Twinkleフェス」でRiPoPに敗れた結果、ナナスタWの経営が悪化し、廃業の瀬戸際まで追い詰められてしまうが、支配人が金策に奔走したことで資金繰りのめどが立ち、どうにか廃業を免れることに成功する。なんとか首の皮一枚でつながったナナスタW。これ以上負けるわけにはいかないと、Asterlineの3人は目の前の仕事に無我夢中で取り組むようになる。

 毒舌美食家とのラジオ対談。RiPoPとの鬼ごっこ対決。オファーされた仕事は断らず、前向きな姿勢で仕事に臨む3人。なかでもマイとシオネは、自分たちの存在を知ってもらう絶好の機会と言わんばかりに、これまで以上に「頑張る」と口にし、仕事に対して意欲的な姿勢をみせたのである。

 冒頭のアイの発言は、そんなマイとシオネの振る舞いを受けてのものだ。アイドルとして結果を出すことを求めるあまり、張り切りすぎているのではないか。いわゆる「かかっている」状態に2人は陥っているのではないか、と心配するアイ。自然体で居られる、なおかつ、誰かの励みにもなる。それこそ、『EPISODE.2053 SEASON1-005「星屑のアーチ」』で描かれた廃校ライブのように、「自然と誰かの背中を押す」ことこそ、Asterlineの目指すべき姿、すなわち存在意義なのではないかと告げたのである。 

「背中を押す」=「光」

 誰かの背中を押す――それはナナシスという作品がこれまで真摯に描いてきた、一つのテーマである。作品の根幹をなす概念と言ってもよいだろう。事実、エピソードでは頑張る他者をナナスタのアイドルたちが応援する様子が多く描かれてきた。そのうえ、背中を押すベクトルはエピソードや楽曲はプレイヤーである私たち「支配人」にも向けられているし、実際に作品の後押しを受けて、ひたむきに、かつ着実に歩みを進めた支配人も少なくない(このあたりの詳細は、ナナシス10周年を記念して放送された「ナナシス放送局 Special『みんなのKILL☆ER☆TUNE』」を聴いていただきたい)。

 誰かの背中を押すこと。ある意味それは「光を放つ」こととも言える。光がなければ目的地がどの方向にあるか皆目見当がつかないし、光が世界を照らしているからこそ、私たちは着実に歩みを進めることができる。多くの人が目の前の道を着実に歩めるよう、その後押しをする。この1点において「光」と「背中を押す」ことには通底するものがあるし、「EPISODE.2053」もこのスタンスをしっかりと継承していると言えるだろう。ナナシス風に言えば「バトンがつながれている」のだ。

 とはいえ、「EPISODE.2053」における「背中を押す」ことの意味合いはそれだけにとどまらない。「EPISODE.2034」にはなかった、ある別の要素も含まれているのだ。それはいったい何か。「バックステージ」第6話でのマイの言葉を借りるなら、「頑張っている人の背中を押して、その『姿を見せる』こと」。すなわち、「背中を押す人と押しているAsterlineの姿を発信する」というものである。

 そしてそれは、Asterlineが群雄割拠のTokyo-7thでアイドルとして生き残るための「生存戦略」でもあるのだ。

急所を突くアリナの指摘

 なぜ背中を押すことがAsterlineの生存戦略になるのか。その答えは『EPISODE.2053 SEASON2-004「その手を取って、星に掲げて」』で明確に描かれているが、これを説明する前にまずは話のあらすじを紹介したい。

 このエピソードでは、早速「背中を押すさま」を実況中継するAsterlineの様子が描かれている。全国高校コマ大会に出場する学生、絵画のコンクールに出す絵を描きたい美大生、転校初日に励ましてほしい小学生など、Asterlineのもとにはありとあらゆる「背中を押してほしい人」の声が殺到。配信の評判は上々で、配信サイトのランキングにもランクインするほど。発案者のマイも確かな手ごたえを感じている様子で、この配信をきっかけに、Asterlineは「Misonoo/future*2 Live」に招待されるなど成果も出ている。

 そんな「Misonoo/future*2 Live」の出場に向けて準備を進めるなか、マイはあるアイドルと親交を持つようになる。人気急上昇中の地下アイドルユニット「OFF White」のリーダー、アリナ・ライストだ。アリナは自身の「素」の姿をマイに目撃されて以来、マイの行動に執着。マイの一挙手一投足を監視したり、Asterlineの配信を視聴し、コメントを残したりしている。マイの人当たりの良い性格により、次第に2人は打ち解けるわけだが、そのなかでアリナはAsterlineの配信についてある疑問を呈する。言うまでもなく、彼女らの配信のことだ。

 ユニットコンセプトの再構築、パフォーマンスの底上げ、OFF Whiteのもとに多くの収益が残るよう緻密に構成されたビジネスモデルの確立……ありとあらゆるテコ入れを一手に引き受け、OFF Whiteを人気ユニットへと変貌させたアリナにとって、Asterlineの活動は理解できるものではなかった。それどころか、「アイドルに関係ない」「お金にならない自己満足」と舌鋒鋭くツッコミを入れる。もちろん、アリナに悪気があるわけではない。前述したような手法でユニットを立て直したアリナにとって、アイドル活動に直結しない、お金にもならない行動に時間を割くことが純粋な疑問としてあるのだ。

 こうしたアリナの問いに対し、当のマイはどう感じているのか。その答えはこうだ。

たしかにそういうのちゃんと考えたことなかったけど……

私たち、誰かの背中を押せられたらなって思うんです。

(中略)

頑張っている人の力に、ちょっとでもなれたら私たちもパワーアップ! 

できる気がしてて! 人とつながると、なにかが少しずつ変わる。

みんなをつないだら、どんなにすごい私たちになれるのかなって!

(EPISODE.2053 SEASON2-004「その手を取って、星に掲げて」第4話)

 マイの発言をまとめると「それがAsterlineの存在意義だから」の1点に尽きる。頑張っている人を応援する。それによって、自分たちの力量も上がっていく。いろいろな人の背中を押し、その人たちがつながることで、Asterlineも前進していく。そこに喜びや楽しみがある。これは嘘偽りのないマイの本心であり、Asterlineの総意である。

生存戦略としての「背中を押す」こと

 とはいえ、アリナの指摘も一理ある。2053年の世界はアイドルビジネス真っ盛り。Tokyo-7thでは日々新しいハコスタが生まれては撤退する、弱肉強食の競争が繰り広げられているのだ。当のナナスタWも支配人が営業活動や金策に奔走し、日々苦汁をなめている。冒頭で説明したように、資金繰りがひっ迫し廃業寸前まで追い込まれたこともあった。このように、Tokyo-7thにおいてアイドルと市場競争は不可分の関係にあり、生きるか死ぬかの生存競争が日々繰り広げられているのだ。

 このような状況下で、一見するとアイドル活動には直接プラスにならない、お金にもならないことに注力するAsterlineの行動は確かに不可解だ。それはまさに、アリナの言うように「自己満足」の域を出ていないのかもしれない。

 だが、Asterlineの活動は結果として表れている。配信での評判も良く、彼女らの認知度の向上にもつながっているし、「Misonoo/future*2 Live」でも、かつてAsterlineに背中を押された面々が会場に詰めかけ、彼女らに向けて声援を送った。その声援がAsterlineに届き、パフォーマンスにますます磨きがかかり、結果Asterlineは「Misonoo/future*2 Live」で優勝を飾った。このように、背中を押すことが巡り巡ってアイドルとして成果を挙げることに結びついているのである。

 ここにあるのは「善因善果」「情けは人の為ならず」の論理だ。Asterlineが他者の背中を押し、Asterline自身もまた他者から背中を押される。この循環が彼女らの認知度向上、そしてファンの獲得に結びつき、アイドル激戦区のTokyo-7thで脚光を浴びるまでになったのだ。もちろん、Asterlineはこれを見越していたわけではないだろう。ただ純粋にあまねく人々の背中を押した結果が、巡り巡って自分たちに返ってきたのである。まさに「情けは人の為ならず」だ。

 誰かの背中を押すこと。これは群雄割拠のTokyo-7thでAsterlineがサバイブするための生存戦略である。それは草の根レベルの地道な活動かもしれないが、Asterlineが蒔いた種は確実に芽吹きつつあるのだ。

 Asterlineを取り巻く環境は依然厳しい。うかうかしていると足をすくわれる。そんな危うさをTokyo-7thのエンタメ業界ははらんでいる。だが、Asterlineはそんな外的環境に挫けず、これからもひたむきに誰かの背中を押していくことだろう。

 くどいようだが、それが彼女らの存在意義であり、生存戦略なのだから。