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【書評】「ヴィクトリア朝京都」を"迷"探偵たちが駆け巡る――『シャーロック・ホームズの凱旋』

 あるときは「”腐れ大学生”が跋扈する並行世界」として。またあるときは「人とのご縁が紡がれる場所」として。またあるときは、「現実と異世界が交錯する妖しげな街」として。多彩なアプローチで「京都」を描いてきた著者。本作では「ヴィクトリア朝京都」という新しい京都像を提示している。

 ヴィクトリア朝とは、ヴィクトリア女王が英国を統治していた19世紀後半(1837年~1901年)を指し、植民地拡大や産業革命を背景に、栄耀栄華を誇っていた時代であることは周知のとおりだ。そして何より、シャーロック・ホームズが活躍した舞台でもある。

 それゆえに、ヴィクトリア朝京都の風景も、19世紀の英国と京都が共存したものとなっている。街の中心部には四条大橋が架かり、鴨川に沿って壮麗な国会議事堂が並び、その先には時計塔(ビッグ・ベン)がそびえる。橋の向こうには祇園の町があり、国会議事堂の対岸には構えるのは歌舞伎の上演で名高い南座だ。本作の主人公であるシャーロック・ホームズの住み家は寺町通221B(オリジナルのホームズの住所は「ベーカー街221B」)にあり、ホームズがスランプに陥るきっかけとなったレストレード家は鞍馬にある。

 こうしたヴィクトリア朝の英国と京都を融合した世界観は、一見すると荒唐無稽な舞台設定のように映りがちだが、本作ではそうした違和感を一切覚えさせない。むしろ、両者の世界観が見事なまでにマッチしているのだ。それは、著者の類いまれなる筆力と構想力に加えて、京都という街が異世界を飲み込む「魔力」に満ちているからだと思う。

 京都ほど、怪異や異界を匂わせる言い伝えの多い土地はない。例えば、鞍馬を拠点に京都の町中を縦横無尽に駆け巡る「鞍馬天狗」や、人に迷惑をかけて鴨川に流された「八兵衛狸」のように、京都を跋扈する妖怪・怪異は枚挙にいとまがない。また、六道珍皇寺や一条戻橋のように、冥界の接続口と言い伝えられている場所も複数存在する。つまるところ、京都は数多くの「不可思議」を内包している稀有な街なのだ。

 この世には存在しない(とされる)不可思議なものと共存できるのだから、ヴィクトリア朝の英国という、かつて存在した世界とも共存できる。異世界を飲み込む魔力の源泉は、「不可思議」とともに育まれてきた独特の風土にあるのだ。

ホームズはいかにして凱旋するのか

 前に述べたように、本作の主人公はシャーロック・ホームズである。言わずと知れた名探偵だ。ただ、本作で描かれるホームズ像はオリジナルのそれとは一線を画す。スランプを理由に事件を解決しようとせず、むしろあの手この手を使って距離を置き、逃避を図ろうとするのだ。こうしたホームズに対し、ワトソン医師やハドソン夫人、アイリーン・アドラーといったお馴染みの面々が、彼を探偵業の最前線に戻そうと画策する。

 シャーロキアンからすると、こうした怠惰なホームズ像は看過できないかもしれない。ただ、森見作品に愛着を持つ「モリミアン」からすると、怠惰で偏屈で内省的でナイーブな人物像は著者の真骨頂と捉えるだろう。『太陽の塔』『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』『恋文の技術』など、そうした人物をメインキャラクターに据えた作品は枚挙にいとまがない。

 本作もこれらの作品の流れを汲んでいる。あの手この手を使って現実逃避を図るホームズの言い訳やその言い回し、ワトソンやハドソン夫人、モリアーティ教授ら個性的なキャラクター達との掛け合いが滑稽で面白おかしい。ほぼ全編を通して、森見節が絶妙に効いているのだ。

 一方、本作の後半以降は前半までの作風から一変し、シリアスな展開が待ち構えている。この展開を通してホームズや助手のワトソンが「覚醒」し、凱旋に向けて歩みを進めることになる。怠惰なシャーロック・ホームズはいかにして「凱旋」するのか。ぜひ本作を手に取って確かめてほしい。