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【書評】「天下を取る」浮世離れした若者の物語――『成瀬は天下を取りにいく』

 成瀬あかりは“浮世離れ”した人間である――。物語に触れるなかでそんなイメージが沸き上がってきた。

 本作は滋賀県大津市の女子中高生・成瀬あかりと、その周囲の交流を描いた連作短編集で、一つのエピソードを除いてあかりに関わる他者の視点で物語が進んでいく。

 文学作品である以上、主人公が人間であるのは言うまでもない。とはいえ、本作で描かれている「成瀬あかり」という人物の一挙手一投足をみる限り、思わず人間離れした印象を抱いてしまうのだ。

 例えば、閉店を間近に迎えた西武大津店に毎日通い、ローカルテレビ番組の生中継に映り込んでみたり、中学生ながら同級生とコンビを組んで「M-1グランプリ」にエントリーしてみたり、「高校3年間でどれだけ髪が伸びるか検証したい」と入学前にスキンヘッドにしたり……。「私は200歳まで生きる」「200歳まで生きた人がいないのは200歳まで生きられると思ってないからだ」と突拍子もないことを平気な顔で言い放つのだから、これはもう奇人・変人の域である。

 それゆえに、成瀬はクラスの中で孤立してしまうこともしばしばあったが、成瀬は意に介さず我が道を行く。すると、次第にその意志の強さと容易く周囲に迎合しない気高さに惹かれ、理解を示す者が現れ始める。成瀬の相方としてM-1に挑戦した島崎みゆき。競技かるた大会で成瀬に一目惚れした西浦航一郎……。成瀬と接する彼女らのいわゆる「普通」な反応が、思春期特有のアンバランスな心情変化も相まって、今や遠い過去のものとなった「青春時代」を思い出させる(人並みの「青春時代」を過ごしていたのか、と問われると回答に窮してしまうが……)。

 そうなると、なおさら成瀬には感情移入しづらくなる。良い意味で俗っぽくない人物造形も、視点を変えれば「フィクション上のキャラクター」としての印象が強くなってしまう。本作の終盤になるまで、成瀬に対して取っつきにくい印象を拭えなかったのは、こういった人間離れした行動が前面に押し出されていたからにほかならない。

 
「等身大の人間」を描いた最終話

 この印象が覆るのが最終話である。このエピソードは唯一、成瀬の視点から物語が紡がれている。そしてここで色濃く描かれているのが、「成瀬の葛藤」である。 

 地元の夏祭りの実行委員として出し物の企画を練る成瀬は、同じく委員として活動しているみゆきから「大学進学を機に東京へ引っ越す」ことを打ち明けられる。成瀬にとってみゆきは唯一無二の親友で、これまでも西武大津店の生中継やM-1グランプリなど、さまざまなイベントを通じて親交を深めてきた。

 そんなみゆきが地元から離れる――。この話を聞かされて以来、成瀬の生活にほころびが目立ち始める。これまで寸分の狂いもなかった起床時間がズレ、日課のジョギングも気乗りしない。勉強も捗らず、すぐに集中力が切れてしまう。些細なことをきっかけに、みゆきと喧嘩までする始末。「私は島崎を振り回してしまっていたのではないか」と内心もネガティブだ。

 もちろんこれは成瀬の思い違いで、みゆきも成瀬との思い出を大切にしていた。夏祭り当日2人は仲直りするのだが、その過程で大胆な行動とは裏腹な成瀬の繊細な一面が垣間見える。 

 思い返せば、これまでのエピソードでは成瀬の振る舞いを周囲の目線から語られていた。西武大津店の生中継に毎日映り込んでいたときも、M-1グランプリにエントリーしたときも、そして「私は200歳まで生きる」と言い放ったときも、その裏ではさまざまなジレンマを抱えていたのだろう。あらゆる事情や感情と折り合いをつけながら平然と日常を生き抜く姿は、まさに現実世界の人間そのものである。

 本書を読み終えてあらためて思うのであった。成瀬あかりは”等身大”の人間である、と。

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