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【書評】語り手の「おかしさ」を察知できるか――『むらさきのスカートの女』

 近所で有名な「むらさきのスカートの女」。頬にはシミが浮き出ており、肩まで伸びた黒髪はツヤがなくてパサパサしている。いつも紫色のスカートを穿いているから、いつしかこの呼び名が定着していた。本作はそんな「むらさきのスカートの女」を軸として描かれる「何かおかしい」物語である。

 本作の語り手は「むらさきのスカートの女」ではない。彼女と友だちになりたいという「黄色いカーディガンの女」の視点で物語が進んでいく。

 語り手は「むらさきのスカートの女」が仕事を探していること、就職活動に苦戦していること、電話口で選考落ちを告げられたこと――など、「むらさきのスカートの女」の一挙手一投足をつぶさに把握している。語り手は彼女と距離を縮めるべく、自らが勤める職場の情報が載ってある求人情報誌を「むらさきのスカートの女」の自宅に何冊も届けたり、シャンプーの試供品を届けて身だしなみを整えるよう誘導したりと、ありとあらゆる働きかけを行う。

 こうした語り手の作戦(?)が奏功し、「むらさきのスカートの女」は無事就職するのだが、そこでも、語り手は相変わらず「むらさきのスカートの女」に目を光らせる。同僚と打ち解け、次第に垢抜けていく「むらさきのスカートの女」はやがて上長と不倫関係になり、密会を重ねるようになる。もちろん語り手も2人の関係性を把握しており、デートを尾行することもあった。

 このように「むらさきのスカートの女」に執着する語り手だが、それでも、「むらさきのスカートの女」が語り手の行動を認識したり、2人が会話したりする機会は一切なかった。ようやく2人が接触するのは物語終盤のこと。語り手は「むらさきのスカートの女」と友だちになるべく、大胆な行動をとっていたにもかかわらず、その存在はまるで空気のように意識されていなかったのである。

語り手の悲哀

 語り手の存在を意識していないのは、われわれ読者も同じではないだろうか。少なくとも私自身は「むらさきのスカートの女」の行く末に気を取られ、語り手の異常な行動を見落としてしまっていた。いや、うすうす勘づいてはいたものの、語り手の「異常性」に背筋が凍る思いをしたのは本作を再読したからだ。私のように「むらさきのスカートの女」に気を取られ、語り手の異常性を頭の片隅に置いていた読者は少なくないように感じる。

 よくよく考えればおかしい点が多々ある。前述した「電話口で選考落ちを告げられたこと」を理解しているのもそうだが、「むらさきのスカートの女」に突進して精肉店のショーケースを壊したり、デートの尾行中に立ち寄った居酒屋で代金を払わずに店を出たり(このことはおそらく店にばれていない)と、その例は枚挙にいとまがない。

 それでも読者の注意は「むらさきのスカートの女」に集まる。彼女の徐々に垢抜けていく様、上長との禁断の恋愛の行方、同僚に嫌われ居場所を失っていく「むらさきのスカートの女」の胸中……など、物語の中心にいるのは「むらさきのスカートの女」だ。

 大胆な行動をとっているにもかかわらず、「むらさきのスカートの女」はおろか、読者にさえその存在を認識してもらえない。「黄色いカーディガンの女」の悲哀はこの点にある。