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【書評】太平洋戦争の「ポイント・オブ・ノー・リターン」――『ミッドウェー海戦』

 東京から東に4100キロ。北太平洋中部に位置するミッドウェー島は、1年中気温が暖かく湿度が高い海洋性気候の島である。毎年約200万もの海鳥や渡り鳥が巣作りのために同島を訪れ、特に11~7月にかけてはアホウドリの一種であるコアホウドリクロアシアホウドリが多く飛来。冬にかけてタマゴを生み、ふ化させ、夏ごろに巣立っていくそうだ。絶滅危惧種のハワイアンモンクアザラシ、アオウミガメ、ハシナガイルカなどさまざまな海洋生物も、同島付近で多く確認されているという。

 そんな自然豊かな海域で血みどろの戦いが繰り広げられたのは今から80年前の6月のこと。太平洋戦争のターニングポイントとして知られる「ミッドウェー海戦」で、日本側は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の主力4空母と重巡洋艦1隻が沈没。航空機約300機を喪失するなど手痛い損害を被った。一方の米軍は空母1隻沈没、航空機150機の喪失にとどまり、戦争の主導権を連合国側に渡してしまうこととなった。

慢心が戦勢を決定づける

 当時の戦勢を簡単に追ってみよう。1942年6月5日、第一次攻撃隊がミッドウェー基地を攻撃。その後、同隊から「第二次攻撃ノ要アリ」との報告を受けた南雲艦隊は、ミッドウェー付近に米軍機がいないと判断。「本日敵機動部隊出撃ノ算ナシ 敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃ハ第四編制ヲ以テ本日実施ノ予定」との指令を発信するとともに、航空機の装備を対艦船徹甲爆弾(魚雷)から陸用爆弾への積み替えを指示した。ミッドウェー基地を再び攻撃するためだ。

 ところが、その後、零式水上偵察機「利根」の四号機から「敵ラシキモノ一〇隻見ユ」との報告が届く。さらに続けて、「敵ハ其ノ後方ニ空母ラシキモノ一隻伴フ」と……。米空母が日本艦隊目掛けて発進していたのである。

 利根四号機からの報告を受信した南雲艦隊はミッドウェー島への第二次攻撃を中止。航空機の装備を再度魚雷への積み替えを指示した。前述のように、直前に魚雷から陸用爆弾への積み替えを命じていたため、各空母では再度の装備転換を迫られたのである。その後、南雲艦隊は攻撃隊の発進を優先するか、第一次攻撃隊の空母への収容を優先するか――の2択を迫られ、攻撃隊の収容を優先したわけだが、これにより攻撃隊の発進が遅れてしまう。その間に米航空機が日本艦隊を襲撃。蒼龍、赤城、加賀、そして飛龍が米軍の攻撃を受け戦闘不能に陥ってしまう。これでミッドウェー海戦の勝敗が決し、以後日本は太平洋戦争で劣勢をしいられることとなった。

 なぜ日本はこの戦いに敗れてしまったのか。さまざまな要因が挙げられるだろうが、南雲艦隊の慢心が戦況に与えた影響は大きい。特に、第一次攻撃隊の報告後、「本日敵機動部隊出撃ノ算ナシ」と決めつけたことは"驕り"に他ならない。開戦以来連勝が続き、ひたすら勝利を手にし続けた事実が、「米空母部隊は出動してこない」という誤った判断をもたらしたのだ。歴史に"if"はあり得ないが、もしあの時、攻撃隊を先に発信させていたら、航空機の一部を魚雷装備のまま待機を命じていたら、戦闘の行方は変わっていたかもしれない……。

 われわれがこの戦いから学ぶことがあるとすれば、「驕慢」してはならない、に尽きるだろう。驕れる平家は久しからず、というわけだ。

 ちなみに、この「……出撃ノ算ナシ」という一文は、ミッドウェー海戦の一挙一動を記した『第一航空艦隊戦闘詳報』からも削除され、長きにわたって秘匿されたという。日本にとっても都合の悪い事実だったわけだ。