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【書評】ハライチ岩井が活字でラジオする!――『どうやら僕の日常生活はまちがっている』

 エッセイとはさしずめラジオのフリートークのようなものだと思う。
 いずれも日常生活で体験した出来事の一部始終を、自分自身の価値観や心の機微、想像、妄想を織り交ぜながら、時にユーモラスに、時に毒気満載で語りつくす。両者を隔てるのは記述か口述かの違いだけだ。

 ノリボケ漫才で一世を風靡したハライチの「ボケ」とネタ作りを担当する著者。露出の多い相方に比べて「じゃない方」のレッテルを貼られていた感があったものの、最近はラジオやバラエティー番組での活躍が目覚ましい。特に"腐り芸人"として芸能界や現代社会の慣習、風潮に鋭く切り込んでいく姿はとりわけ目を引くものがある。先月には結婚を発表するなど、今やテレビで頻繁に目にするようになった。

 本書では著者が「平凡な日常生活」で経験した出来事を、独特の感性から紡がれる「妄想」のフィルターを通して綴っている。そのさまは、さながら「ハライチのターン!」(著者がパーソナリティーを務めるラジオ番組)のトークコーナーだ。

著者の「構成力」「想像力」光る

 「地球最後の日に食べたいものは何?」という他愛のない会話を交わしたことは誰でもあるだろう。好物の話題を皮切りに先輩芸人からこう尋ねられた著者は考えを巡らせる。

〈この手の空想の質問に答えるのは僕も好きだ。しかしこの"地球最後の日に何を食べるか"という質問に対して、僕はいつも悩む。それは、もし地球最後の日が本当に来たとして『あぁ、もう今日で地球が終わってしまうんだ……。死ぬんだ……』と悲しみに打ちひしがれている時に、大好物であれ、鰻のような胃に重たいものを食べられるかということだ〉

 こうして「地球最後の日の食事情」というSFチックな妄想が幕を開ける。まずは場所の問題。地球最後の日は地球人全員の最後の日なので、そもそも飲食店が開いている可能性は低い。たとえ営業していたとしてもそんな店は多くないから、自ずと行列ができるだろう。行列に並んでいる最中に最後の瞬間を迎えたら、これほど虚しいことはない……。

 仮に今日が最後の日であるということを自分だけが知っていたらどうか。危機が迫っていることを他の人々に伝えるだろう。無論、周囲からは白い目で見られ、信じてもらえない。すると「本当に今日で滅びるのか?」と疑心暗鬼になり、好物でものどを通らなくなるだろう。やはり食べ物どころではない。

 そもそも地球滅亡の日に悠長に外食などできるはずがない。人々は暴徒化し、街はひどく荒れ果て、盗みや破壊行動が横行するなど危険な状態に陥る。安全なのは自宅だけ。そうすると、自宅で手軽に食べられるものがふさわしいのではないか――。
 こうして「地球最後の日に食べたいものは何?」という問いに一つの結論を見出した著者。他愛もない会話からストーリーを構築し、最後にしっかり「オトす」さまはさすがは芸人といったところだ。

 ハライチのネタには一般人が想像もつかないような展開をみせるものが多い。その核となっているのがネタづくりを担う著者の「構成力」や「想像力」だ。

 そんな思考の源泉を本書を通して垣間見たような気がした。