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【ナナシス】競争社会を颯爽と生き抜く「つながり」の価値――「EPISODE 2053 Roots. SEASON1」

 Roots.は、その出自からして「競争するアイドル」というイメージが強い。ここで言う競争とは、Roots.のメンバーを賭けたオーディション候補生の競争、隆盛を極めるエンタメビジネスを勝ち抜くという市場競争――の大きく二つを指す。

 つまるところ、『EPISODE 2053 Roots. SEASON 1-001』(『 There's no place like "home"』)、『002』(『The beginning of a beautiful friendship for now』)では個人と社会、すなわちミクロとマクロの双方から見た「競争」が横串として貫かれていると言えるだろう。

 まず前者。Roots.としてデビューするには熾烈なオーディションを戦い抜くことが求められる。世界中から候補生が集まり、なかにはアーティストを経験した人間もいるようだ。歌唱、ダンス、ユニットなどさまざまな審査でふるいにかけられ、パフォーマンスが未熟と判断されれば容赦なく落とされる。「第二言語を習得している」といった条件からも、メンバー入りを賭けた競争のすさまじさがひしひしと伝わってくる。

 一方、後者はRoots.のプロデューサーであるアギンPの発言を拾い上げるとわかりやすい。「今のショービズに追いつくにはお前らは遅すぎる」「お前たちの涙は観客を楽しませる商品になる。お前たちの笑顔がそうであるように」「これは美しいショーなんだ」など、口々に市場競争の論理を持ち出し、これに勝ち切ることがRoots.の目的であると言わんばかりに、オーディション参加者に圧をかける。

 『EPISODE 2053 SEASON 1』でも描かれていたように、2053年のエンタメ、特にアイドル業界の競争は激化の一途をたどっている。日々新たなハコスタが生まれては消え、廃業寸前のハコスタには「経営再建」の名のもとに経営アドバイザーが派遣される……「ナナスタW」に訪れた支配人の当初の目的はハコスタの清算処理だった。2053年のアイドル業界の土台にあるのは「弱肉強食」の市場原理にほかならない。

 Roots.も例外ではない。この「Roots.プロジェクト」には24にのぼる企業が参画している。どういう形でプロジェクトに関わっているかは定かではないにせよ、多くの企業がRoots.を「金のなる木」と見込んで出資したことは想像に難くない。

 そもそも、このオーディション自体、エンタメビジネスで収益を上げるための呼び水のようなものだ。アギンPによる理不尽に近い要求、これに食らいつくRoots.候補生、合格した者の喜び、落選した者の涙……。センセーショナルな展開を矢継ぎ早に繰り広げることで注目を集め、視聴率あるいはPV数を稼ぎ、スポンサーにとっての価値を高める。オーディションのすべてが、Roots.を「世界で通用するエンターテイナー」に仕立て上げ、エンタメ業界で多くの収益を獲得するための布石なのである。

 それゆえに、Roots.が歌い上げる楽曲はどこかオフェンシブで挑戦的だ。『New Age』にしろ『WONDEЯ GIRL』にしろ、いずれも激しい競争に果敢に挑み、勝ち抜く覚悟や強さが楽曲から垣間見える。

 かように、プロジェクトとしてのRoots.が纏っているのもまた、弱肉強食の論理なのである。

競争で得られるもの、失われるもの

 このように『EPISODE 2053 Roots.』では個人と社会、ミクロとマクロの観点から見た「競争」が描写されているわけだが、現実世界におけるそれはいかなる効果を発揮しているのか。一旦ナナシスから離れ、競争がもたらす結果について考えてみたい。

 実社会において競争することのメリットは数限りない。ミクロの面で言えば、競争は個人の成長を大きく後押しする。勉強にせよ、スポーツにせよ、他者と切磋琢磨し競い合うことでパフォーマンスは大きく向上するのだ。

 マクロの面も同様だ。絶えずイノベーションを起こし続けるには市場競争が不可欠である。競争相手がいるからこそ、企業は事業の品質アップに心血を注ぐのだ。仮に市場競争が起こらなければ、企業は技術開発やコストダウンを怠り、消費者にとって不利な形でサービスが提供されることだろう。

 Roots.の場合はどうだろうか。「Roots.プロジェクト」の厳しいオーディションは、候補生をふるいにかける一方、個人のスキルアップを後押ししたと言える。例えば、『002』終盤でのアギンPの指摘は一見すると強圧的だが、それだけにおのおのの課題や弱点がくっきりと浮かび上がり、候補生たちのレベルアップにつながるだろう。

 そして何より、候補生のレベルアップはそのままRoots.としての完成度向上に結び付く。それはすなわちRoots.の商品としての市場価値が飛躍的に高まることを意味する。アギンPをはじめとするプロジェクトの運営や出資者にとっても、競争によって得られるメリットは決して小さくないのだ。 

 一方で、過度に激しい競争はプレイヤーを消耗し疲弊させてしまう。精神的に追い詰められ心が折れる、敵対心や不信感が生まれ、やがて対人関係の悪化へと発展するといった負の側面も孕んでいるのだ。言うなれば「諸刃の剣」。実際にRoots.編でも、オーディションに落ち精神的にボロボロになった候補生や、タン・シヨンに嫌味を言い放つ候補生など、競争による弊害が随所に描かれている。

 マクロの面で言えば、先述した2053年のアイドル業界がわかりやすい。日々新たなハコスタが生まれては消えてゆく。かつて栄華を誇ったハコスタも例外ではなく、勢いが衰えてしまえば市場から易々と退場させられてしまうのだ。

 ここで思い出されるのが『2034』編の主人公である春日部ハルである。彼女が一度アイドルになる夢を捨てたのも、ありとあらゆる競争に巻き込まれたのが一因だ。当時の所属事務所社長やマネージャーの発言から察するに、ハルのことを収益を生み出す「商品」としてしか見ていなかったのだろう(『ノッキン・オン・セブンス・ドア』第3話)。競争社会の論理に真正面から相対したハルは心身ともに疲弊し、アイドルになることを諦めた。

 かように、ナナシスは『EPISODE 2053 Roots.』に限らず、黎明期から競争社会の功罪をいみじくも描いていたのである。

「わが家にまさるところはない」

 現代社会にしろ、『2053』の世界にしろ、根本にあるのは弱肉強食、市場競争の論理である。私たちもRoots.候補生のように、日々熾烈な競争に身を投じ、心身ともに疲弊した毎日を送っていることだろう。私たちはこのまま競争によって消耗されていく一方なのか。競争から離れ、心身を癒すことは不可能なのだろうか。

 そんなことはない。弱肉強食の社会をサバイブする術は実際に存在するし、そのヒントを『EPISODE 2053 Roots.』そのものが与えている。

 着目したいのは『001』のサブタイトルだ。『There's no place like "home"』。和訳すると「わが家にまさるところはない」を意味する。この「わが家」こそ、激しい競争に消耗し疲弊した心身を癒せる場所ではないだろうか。いまどきの言葉で言えば「心理的安全性」が保障された場所といえるだろうか。要するに利害や損得勘定に左右されないつながりが得られる空間のことである。

 利害や損得に左右されないつながり。それは例えば両親かもしれないし、人生の伴侶かもしれない。友人、恋人、親戚こそふさわしいという人もいることだろう。一度はアイドルを諦めたハルも、コニーと支配人というつながり、ナナスタという「わが家」を手に入れたことで、再びアイドルの道を志した。

 『002』では、オーディションの競争相手という関係性を超え、「わが家」としてのつながりを築きつつ月代ユウ、タン・シヨン、フラナ・リンの3人の姿がいきいきと描写されている。同話の後半、フラナのもとに届いた荷物をユウとシヨンが協力して運び出すシーンはその萌芽といえるだろう。彼女らの関係性が今後どのように展開していくかは定かではないが、熾烈なオーディションを勝ち抜くための原動力として、おのおののつながりがより堅固になっていくことだろう。

 弱肉強食の社会を颯爽とサバイブするには、利害や損得勘定から切り離されたつながりが必要だ――『EPISODE 2053 Roots.』は競争による疲弊、消耗を癒す「わが家」の価値を見事に描いてみせたのである。

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